感情はコントロールできない

僕は「ストレス発散」という言葉がどうも苦手だ。

「発散」という言葉を聞く度に、その意味をいつも掴み切れないでいる。

例えば「スポーツでストレス発散!」と言うが、家庭の悩み、病気の悩み、お金の悩みから来るストレスが、スポーツをすることで本当に発散できるだろうか…。

スポーツを楽しむその瞬間は忘れるかも知れないが、所詮一過性に過ぎない。

避雷針やアース線の様に、どこか別の場所へ受け流すことができれば良いが、人間の頭に避雷針は付いていない。

しかし、どうも周りの人たちを観察して見ると、みんな「ストレス」や「感情」をうまくコントロールしているように見える。

まるで悩みなんてないかの様に…。

ただ実際には、本当は辛いと思いながらも「感情のコントロールが出来ない人間だ」と周囲に思われない為に、努めて「気にしない様に振舞っている」にすぎない。

それは、僕らが幼いころから「感情はコントロールできなければならない」という思い込みをして来たからだと思う。

でも、わかったのは感情はコントロールできるものではない…ということ。

遅ればせながら30代になってようやく分かった。

不愉快な感情を無視しようとしたり、無理になくそうとすると余計に意識が強まる。

ここで問題なのは、不愉快な感情と、間違った処理による思い込みだ。

自分が感じる感情と思い込みを分解してみると、前者も後者も構造は同じで、例えば「自分」という存在に「意味」が紐づいていて、その意味は刺激によって変化するようだ。

悩ましいが、分解はできてもその機能についてはよくわからない。

できれば詳細な仕様書が欲しい。

感情はコントロールできなくても、自分と思考を切り離し、思考を一歩下がって観察することはできるはずだ。

例えば、「僕は何をやってもダメだ!」という思考と、「『僕は何をやってもダメなやつだ!』という思考をした。」という思考のは別物である。

この辺がうまく腑に落ちると役に立ちそうだが、まだ良い方法が見つからない。

このままでは気持ち悪いので、家に帰ったらサイニーで論文を検索しまくって読み漁ろうと思う。