レンタル都合の良いひと
「君は居ても居なくても良い、他人にとって都合の良いだけの人だ」と言われたことがある。確かにその通りだと、僕は思った。
僕は自分の為にする努力より、他人の為にする努力の方が性にあっている。
そのため、自分も甘やかすが、つい他人も甘やかしてしまう。
人に喜んで貰えることなら、比較的なんでもする。
時間も労力も費やすが、そうすることは苦でない。
それに見合った見返りがなくても、全く問題ない。
ただ純粋に、人の役に立つことが好きなのだろう。
そうすることで、自分が「不要な人間ではない」ということを確認しているのかも知れない。それが、「他人にとって都合の良いだけの人」と言われる所以だろう。
そして、それらの「都合」に「対価」は不要とあらば、時と状況に関わらず、僕の行動は変わらない。悪い言い方をすれば「対価不要のいつでも”良い人”*1」と言い換えることもできる。
居ても居なくても良いとは、利用価値がある時は役に立ち、利用価値が無くなればいつでも手放すことができるということ。つまり、僕の[convenientな部分]と[temporaryな部分]の、2つの側面を表しているのだろう。
ただ、利用価値がなくなると同時に、自分が「不要な人間ではない」という存在意義を証明できなくなってしまう。[temporary]なだけでは、虚しさが残る。
それが、僕が常に孤独を感じる理由なのだろう。
甘やかすだけ甘やかして、甘やかされるに任せてダメになっていく人を見ると幻滅する。すると、甘やかす価値が無くなる。甘やかす価値が無くなった時、僕は離れて行く。
甘やかすこと自体が
僕にとっての「対価」そのものなのかも知れない。
▼
そもそも「都合が良い」とは何だろうと考えてみたりする。
大抵の場合それは、物事の兼ね合いがうまく行く時に使われるが、人に使う場合は、皮肉的な意味合いになる言葉でもある。
人間関係は「都合」の固まりだとする考え方もあれば、「都合」は不要だとする考え方もあるようだ。
「都合が良い」から一緒にいるというのも理解はできるし、「都合」がなくとも一緒にいるというのも理解はできる。
「都合」には、影響を及ぼすとか、繰り合わせるとか、調整/融通するとかいう意味もある。
副詞的に用いて「合計」とする場合もある*2。
要するに「都合」とは、そういうの事柄の集合体である。
そこまで考えてみると「都合が良い」とは、高次元的でもあり、非常に高度な状態のような気もする。
こういうのを「孤高」というのだろうか(笑)
全く望んでないんだけどな…。