両親の口癖は「言われちゃう」

僕の両親の口癖は「言われちゃう」でした。

「勉強ができないと言われちゃうよ」「ちゃんとしてないと言われちゃうよ」「真面目にやらないと言われちゃうよ」。

「言われちゃう」の意味は、「陰口を言われる」「悪口を言われる」「噂話をされる」とか、そういう意味らしいです。

世間からどう思われているか、周囲から何を言われているか、過剰に気にするような言葉をたくさん使う人たちでした。そんな両親の間で育った僕は、当然のように他人の目を過剰に気にする子どもに育ちました。でも実際には、周囲からどう思われているかなんて、両親は気にしていなかったんじゃないでしょうか。僕にどう思われていたかなんて、全く気にしていなかったから。

この「言われちゃう」はまるで呪いのよう僕について回りました。長いあいだその呪いが自分では振り払えなくて、大人になってからも苦しみました(大人になっても言われ続けてきてしまったから当然といえば当然…)。

「人の期待に応えなければ(言われちゃう)」「人に頼ると(言われちゃう)」「真面目じゃないと(言われちゃう)」「遊んでいると(言われちゃう)」「わからないと(言われちゃう)」「休むと(言われちゃう)」「部屋が汚いと(言われちゃう)」「人と違うと(言われちゃう)」「貧乏だと(言われちゃう)」「ちゃんとした会社に勤めてないと(言われちゃう)」「正社員じゃないと(言われちゃう)」…etc。

両親にとってはたぶん、悪気はない、ただの口癖だったんだと思います。ただ僕は、両親の期待どおり「真面目」に育った。他人から「言われない」ように生きるためにはどうすれば良いのか考えながら暮らして来ました。

大人になって、それなりの会社に入って、それなりの仕事に就きました。でも両親は相変わらず「言われちゃうよ」と言い続けていました。僕は「まだ足りないんだ」と思ったんです。もっと努力しないと「言われちゃう」。

でもある時「無理だ」と思ったんです。他人の期待に応え続けることなんてできない。僕は自分を責めました。どうして他人の期待に応え続けるなんて簡単なことが自分にはできないんだろうって考えたんです。でも、答えは見つかりませんでした。

「言われちゃう」は本当に呪いだったのかも知れないです。僕はバカだったから、両親の「言われちゃう」という考え方が間違っているだなんて少しも疑ったことが無かったから。

この言葉の恐ろしいところは「言う人」が誰なのかわからないというところです。隣人、友人、恋人、先生、上司、地域、社会…。想像を膨らませればどこまでも広がって行く。そして、「言う人」が「何を言うのか」わからない。だから「言われないようにする」ために、とても広い範囲の人を想定しなければならない。脳死状態で受け入れて来てしまった自分にも責任はあると思います。どこかもっと早い段階で気が付くべきだったのかも知れません。

会社で倒れて「うつ病」と診断されたあと、世間体を気にすると思ったから両親には話さなかったんです。会社を辞めたことも、トラックドライバーになったことも、フリーランスになったことも、両親には話していないんです。両親にとっては「ちゃんとした息子」のままにしておいてあげた方が、いろいろなことを気にしなくて済むだろうと考えたからです。

子どもの頃から刷り込まれて来た癖のようなものは、なかなか簡単には解消できませんでした。でも、両親の元を離れて社会に出るようになって、いろんな人と出会う中で、その「言われちゃう」の考え方が必ずしも正しいわけじゃないと分かって来ました。

そもそも、生きていれば他人に迷惑を掛けるものだし。みんな寄り掛かりながら生きているんだから、迷惑を掛けるのは当然だし、迷惑を掛けられるのも当然なんだって。困っていたら助けを求めるし、求められれば助ける。そういうものらしいです。でも、気を抜くといまだに、絶対に迷惑を掛けてはいけない、人に頼ってはいけないと思ってしまうことがあります。

僕は今でもどこかで納得していないんだと思います。そして同時に、もううんざりしている。でも、両親の教えは守らなければと思っている自分もまだどこかにはいる…。